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本部半島地図

 本部町内には、20数ヶ所の遺跡が確認されていて、これらは、沿岸沿いのほとんどの字に分布しており、「浜元サチピン貝塚」、「山川港原遺跡」など、県の史跡に指定された遺跡も数多くあります。この時代の人々は、琉球石灰岩の崖下の洞穴か岩陰を生活の場とし、漁労中心の採集生活を行っていたと推測できます。
 山川垣内権現洞穴遺跡などグスク時代の遺跡では、須恵器壷などが出土し、時代像を明らかにする上で貴重な発掘となりました。
 三山時代は、15世紀初頭まで続きましたが1416年に北山は滅び、中山の尚巴志によって琉球王朝の基礎が造られました。
 1666年に伊野波間切が新設されるまで、本部半島の大半は、今帰仁間切に属し、その翌年には伊野波間切は、本部間切に改称されました。
 本部町域の王府時代の村は合併を繰り返し、明治41年に、本部村、昭和15年に町制が施行され本部町が成立しました。
 沖縄戦では、町全域が戦場となり壊滅的な打撃を被りました。アメリカ軍の占領後、町民は、大浦崎へ移動させられ、苦難の時を過ごしたが、戦後は、農漁業組合の設置などを契機に急速な復興を遂げました。1975年には、沖縄国際海洋博覧会会場になり、国内外からの観客で活況を呈するようになりました。


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